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私の自己紹介をざっくり申しますと、日本の田舎で生まれ育った異文化が大好きな平成女子です。
今回はそんな私が台湾留学を志した背景について、前編と後編に分けてお話ししたいと思います。
どこか他人事だった、進路選択
高校3年生の夏。本来なら進路に悩み、活気に溢れる時期のはずですが、当時の私の世界からは「色」が消えていました。
大好きな母を亡くしたばかりで、心の中には大きな喪失感がありました。未来に対してワクワクしたり、何かを強く望んだりするエネルギーが、どうしても湧いてこなかったのです。
一応、日本の大学のオープンキャンパスにもいくつか足を運び、なんとなく志望大学も決まりかけていました。自分が興味のある分野やカリキュラムで大学を選んでいるつもりでしたが、何か物足りない気持ちを抱えていました。
自宅に届いた、一筋の光
そんなある日のことです。自宅の郵便ポストに届いていた一通のダイレクトメール(DM)が、私の人生のターニングポイントとなりました。
それは、台湾の大学へ進学するための予備校の案内でした。普段の私なら目もくれずにゴミ箱へ捨てていたはずのチラシ。しかし、それを見つけた兄が、冗談のつもりで私に差し出しました。
「これ、どう?台湾に行ってみたら?」
その瞬間、大げさに聞こえるかもしれませんが、モノクロの世界に色がついて見えたような感覚でした。
「これだ!私、台湾の大学に行きたい。」
なぜか私は台湾留学に対してピンときたのです。資料を調べれば調べるほど、その気持ちは強くなっていきました。悲しみに暮れ、もぬけの殻となっていた私にとって、その案内は日本という環境から飛び出し、現状を打破するための「唯一の希望」に見えたのです。
四面楚歌のなかでのプレゼン
しかし、周囲にそのことを話すと、一気に反対の嵐に包まれました。
まずは家族です。父は「海外なんてダメだよ。自分の身の回りのことがちゃんとできるようになってからにしなさい。」と言い、山の麓に住むおじいちゃんやおばあちゃんは「海外は怖いところだ」と反対してきました。
さらに、高校の先生方も、私の高校には海外の大学へ進学した前例がなかったためか、 先生にしてみれば、未知の世界へ教え子を送り出すのはリスクでしかなく、「台湾の中国語は大陸とは違うんだぞ」「日本の大学から交換留学すればいいじゃないか」と口を揃えて反対してきました。
正直、祖父母や外野の先生方の意見はそこまで重要ではなかったのですが、一番身近な父を説得しないことには始まりません。私は台湾留学に関する資料をたくさん調べました。台湾の大学の学費、カリキュラム、治安の良さ、文化…どれだけ具体的に考えているかを証明するために情報をまとめ、最後には父を説得して、一緒に台湾留学の説明会へ足を運びました。
迷伝説の三者面談
そして迎えた、夏休み明けの三者面談。
実は以前の面談で、父は「〇〇大学(実家から高速道路経由で5時間程の県)に行きたい」という私の希望に対し、「〇〇は遠すぎる。送り迎えできないよ」と反対していたのです。
それなのに、今回の面談で父はあっさりとこう言ったのです。
「……まあ、本人がここまで言うなら、やらせてみようと思います。」
〇〇より遠く、飛行機に乗らなければ行けない言語も異なる台湾。それなのに、父は私の本気を認め、許可を出してくれました。その光景を見ていた先生が、思わず苦笑いを浮かべて言いました。
「お父さん、〇〇は遠くてダメなのに、台湾はいいんですか……?笑」
今思えば、先生が放った言葉はごもっともなのですが、当時の私は父が味方してくれたと思い舞い上がっていました。
後編へ続きます!


